芥川 龍之介 俳句。 芥川龍之介の短歌 20選 -浪漫-

俳句 芥川 龍之介

五 松 大正十二年九月七日。 なお、この九八九書簡で芥川は初めて「澄江堂主人」の号を用いている。 落語「夢の酒」では、酒好きのご隠居が夢のなかで酒の燗がつくのを待っているうちに嫁に起こされてしまって、「冷やで飲めばよかった!」とサゲる。

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「兎も」のような破調の句をどうどうとつくっているのに、スタイリスト龍之介としては、この句に限っては句調を整えたかったのだろう。 新全集の関口安義氏の注解に、『当時の大学生の多くは、在学中は坊主頭であったため、伸ばしはじめると話題になったのである。
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室生氏の場合も亦これと同じく、彼の句作の態度には、趣味性の遊離した享楽(ヂレツタンチズム)が多分にある。 いずれの句が優れているかは判定しがたいところだが、「たんたん」のほうに俳諧的な面白みは出ているように思う。 茂吉はその折は元気でしたが、翌年1月に、これもスペイン風邪にかかって、2月になるまで長期の療養を余儀なくされています。

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夏の季語である。 ) 利きおそき眠り藥や藤鬱と (413 一月二十五日 久米正雄宛。
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(廣瀨雄「芥川龍之介君の思出」より。 善五郎の同期には日露戦争終盤の戦いである日本海大海戦にて東郷平八郎の下、バルチック艦隊を殲滅するための作戦を立案した秋山真之や、後に「海軍航空の生みの親」と呼ばれた山路一善などがいます。

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その小説において、次々に新しいスタイルを工夫して、新しい小説世界を切り開いていったのと同様に、俳句においても、文体に徹底した彫琢を加え、既存の俳句的世界や情緒にとどまることなく、独自の世界を切り開いたのである。 句後に「これは機關學校教官の餘戲だ」とある。
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単なる才気だけの作品である」と評したが、いったいこの句のどこを見ているのだろうか。

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江戸時代から現在に至るまで、数多くの名句が生まれ、その背景とともに語り継がれています。 読書と海水浴の『ボヘミアン・ライフ』(夏目漱石宛二二三書簡)を満喫する。
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在学中に発表した「鼻」は漱石に絶賛される。 龍之介が母親の末弟である山本喜誉司 きよし と中学生時代からの親友だったことから、父・善五郎亡き後に母親の実家で世話になっていた文と龍之介が知り合い、交際に発展していったようです。

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なお、中村の言うこの軽井沢行は大正十三年八月か、最後となった十四年の八月のもので(室生、堀共に両年二人共に同時に芥川と同宿している事実がある。
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参考にさせて頂いた諸本の編著者の方や情報を寄せて下さった多くの協力者の方々に深く謝意を表する。

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) 春寒や竹の中なる銀閣寺 (二七八 四月十三日 佐野慶造宛。
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【二〇〇九年四月四日】 の「刹竿に動くは旗か木枯か」の句の注を補正した。 全文掲載した。 澤蟹の吐く泡消えて明け易き (三一二 八月二十四日 塚本様御内宛とあり、後の妻、塚本文へのもの。

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) 晝顏や甘蔗畑の汐曇り (三五 九月一日 西村貞吉宛。 本来、狭義的には直翅目のカマドウマを指すが、無翅で鳴かない。